2008.04.13 (Sun)

音楽小説「この手に力を」


「VISTORON」(2004)
核P-MODELのアルバム、および公式ホームページMP3単独無料配信。
「02. Big Brother」に寄せて。

【More】

 真実を見ろ、と声がした。ふいに街中、まるで宣告のように。
「どうした?」先を行く同僚が振り返る。知らず足を止め、声の主を探すべく往来を眺めていた私は答える言葉を咄嗟に持たない。
 重ねて同僚は名を呼び、急に「ああ」と納得した声を出す。
「ああなっちゃお仕舞いさ」
 言われて見る先、指し示された道路脇。その街路樹の下、一冊の本を掲げる老人を同僚は見ている。
 老人の声は道を行きかう車の騒音に紛れて消える。間を縫って聞こえる声はまるで意味を成さない。足を止める者は誰もいない。広げる腕、閉じられる手の平、掻きむしられるざんばらな髪。この夏の暑さの中、着ているコートは汚れが目立っている。
「行こうぜ」同僚は顎をしゃくった。「それとも一緒に演説でも一節打つかい?」
 とんでもない、と私は苦笑した。同僚の口の端に浮かぶ冷笑を真似る形に口元を歪める。踵を返せば老人は消える。声は始めから届かない。
 短いランチ、ダイナーで煙草をくゆらす暇もあればこそ。半ブロックと離れていない社屋に戻ればいつもながらの仕事が待っている。
 新聞社の編集室からタイプライターの打刻音が消え去って久しい。そんな時代はロバート・レッドフォードの青春と共に過ぎ、元には戻らない。無機質な液晶画面、何でもござれなウィンドウズが最初のキーを求めている。
 パーテーションの向こうに同僚は消え、席へ入る中途に買った自販機のコーヒーの酸っぱい臭いを傍らに置く。要不要のメールを仕分け、メールボーイ(こちらは健在)の放った書類に目を通す。
 さて、と私はコーヒーを飲み干した。
 取材メモ、コピー資料と書籍。同僚との会話、歩行中の夢想。上司の指示と希望と処世術。それらに惑い、思いつき、削り、まとめられかけた文章を指先にこめて。
 叩き出すキーの軽い音。刻まれ行く単語は行きて戻りて意味を成す。言葉を区切り、飾り立て、ステップを踏むべく断ち切られた文脈に仮初めの形を与えていく。定められた領地から足の爪先ほどもはみ出ることなく、記号を組み替え容姿を与える。白い表舞台のために暗黒へ葬られゆく言葉と意味を、供物として捧げつつ。
「ほら」
 そっと控えめに、パーテーションの向こうから掛けられた声。目を向ければそこには同僚がいた。指先にはつまむようにコーヒーの紙カップ。
「一息入れろよ。もう時間だぞ」
 言われてみれば時計はすでに退社時刻を過ぎていた。悪い、とだけ言って紙カップを受け取った。口をつけた熱さに軽く顔をしかめた私に、すっかり帰り支度を済ませた同僚は「それ」と目線だけでプリンターを示す。
「例の記事か?」
「そうだ。明日の会議に提出する。……今度こそ、編集長の眼鏡にかないそうなものが書けた気がするよ」
 何度も取材を重ね文を連ね、そして跳ね返された出来事。現状を訴えるべきだと思い、思ったからこそ力をこめた。すべてが一変するとは思わない。そんな力があるとは思わない。けれどひとつの波紋たれと投げるこれには意味がある。あってくれと願う。
 ふうん、と同僚は鼻を鳴らした。
「あまり熱くなるなよ、お偉いさんはそういうのを嫌う。何度だって突っ返されることはあるんだぜ」
 おい、と私は苦笑する。「えらく慰めてくれるじゃないか」
「経験者は語るってヤツだよ。忠告は聞いておくもんだ」
 手の内でコーヒーを回す。まだ熱いその面から香りが立ち上る。手軽く限りなく質は低く、それでも立ち上る香りは本物だ。
「だとしても書かずにいることは出来ないさ」
 そうだとも。知っていれば訴えることをやめられはしない。まして私にはそのための方法がある。一投を放るための石は、たとえどれほど小さくてもこの手の内にある。
 どうしてその石を諦めることができるだろうか?
「何度捨てられても、私はこの件から手を引くつもりはないよ」
「もし編集部を外されてもか?」
「もちろんだ」
 同僚は軽く手を打ち鳴らす。「ご立派な覚悟だよ、オメデトウ。そこまで言うなら骨は拾ってやろう。木箱が必要になったらいつでも言ってくれ、俺があいつからぶんどってきてやるからさ」
 ふいに苛立ちが立ち上る。
「……私の記事とあの演説とが同じだっていうのかい?」
 おや、と同僚はわざとらしく眉を上げた。
「怒ったな?」
「やめてくれよ」
 私は肩をすくめた。頬がこわばるのが自分でわかった。紙カップは薄い。指先に感じる熱を机の上に置く。
「あんな戯言と何が同じなんだ、どうかしてるんじゃないか? 誰も聞きもしない世迷い言を並べ立てるのと、取材に基づいた記事を活字にするのは大違いじゃないか」
「そりゃそうだな」
 彼はぎこちなく口の端をぬぐう。現れた口元は苦笑するように歪んで、詫びるように紙コップを持ち上げた。ばつが悪そうに笑いをもらす。
「あんまりおまえが熱いことを言うからさ、叩きつぶされた傷が疼いたんだよ。格好いいよ、ホント」
「うるさいよ。とっとと帰れ」
 大袈裟に手を振ると、同僚はじゃあなと肩に鞄を揺すり上げる。
「通ることを祈ってるぜ」
 当然だ、と返した声を背中に投げる。彼はもう、無茶をしない。できないことを知っている。叩きつぶされるとは……そういうことだ。
 コーヒーを手に、再び私は活字を目で読み返す。前回突き返されたものに手を加えている。角度を変え、目線を変え、彼ら好みの文節を加え。それでも芯のように出来事を、
 不意に声が甦る     真実を見ろ、と甦る。
 往来の中、陽光の下。脂ぎった髪、膝が破けた服。冷笑と嘲笑と、歪んだ口元の真ん中で声にならない言葉を張り上げては虚しく消える叫びを思った。
 言葉、言葉、言葉、言葉。
 私は原稿を机に放った。数枚の白い紙はディスプレイにあたり、キーボードをすべった。さっきまで自信にあふれた文章の群れが、まるで忌まわしい模様のように描かれ見えた。
(木箱が必要になったら)
 違う、と私は言った。一緒にしないでくれと、私は言った。けれどどれだけの違いがそこにあるというのだ。
 あの老人が乗った木箱、私が載せたいと思った紙面の一画。投げかける言葉の力にどれだけの違いがある? なべては同じだ。何に基づこうと語る言葉には自身の思惑がこめられる。     それが正しいと信ずべき根拠はなく、ただそこにあるのは独善の言葉だけ。
 伸ばした指先が机の上に残った紙を撫でる。指先は文字を読まない。意味を受けない。それを知り得る者とは、何だ。
「……妄想だ」
 そう、妄想に過ぎない。
 私は椅子を引き、一枚一枚床に散った原稿を拾い集めた。大丈夫だ。もうそこに忌まわしさはない。きれいに揃えた原稿を持ち、席を立った。
 静かに動く気配のするパーテーションを過ぎ、編集室を出た。大きくとった窓の向こう、高層の眼下には暮れ始めた摩天楼。朱に染まり始めた街中にネオンがきらめき、天上には藍の空が広がり始めている。誰もいないエレベーターに乗り込んだ。
 刻々と上がる回数表示を睨み付ける。
 今度こそ、この原稿を通さねばならない。揺らいではいけない。彼の轍を踏まない。踏むものか。私を含めた誰の思惑があろうとなかろうと。私はこの手で何かを変える始めとなる。
 エレベーターが開く。私は箱を出た     真実を見ろ     耳の奥に甦る声を振り払い、ドアを叩いた。










  *  *  *



 とゆーわけの後書きです。
 うーん、難しい。こうと思った道筋に連れていくことが、なんて難しいんだろう。
 最初のイメージイラスト(笑)は「頭を抱え、目を見開き引きつる人。背後に立つ黒服の男、にやりと笑って」な、まんまじゃのー(笑
 R・レッドフォードは、もちろん映画「大統領の陰謀」のイメージ。陰謀に立ち向かうマスコミ人種。
 なれど小話イメージは歌詞に沿って、入れ子構造を目指し……結局は撃沈か。単なるいいひとになってる気が激しくする…! ちゅーか、地の文で説明するのって何か上手くない。ここで言うのはもっと拙い。けど書いちゃうのは自己弁護(笑
「社会正義を訴える筆、他者の思惑を呑んだ筆。それを疑い、承知した上で書き続けること。その意識こそが呑まれていること。誰もが皆、本当は木箱の上にいること」あー、良くわからなくなってきたよ……とほほ。同僚と喧嘩させちゃえば良かったんだよなー。でも彼らの仕事関係を考えたら喧嘩しないよ、と思ってしまったのが失敗(笑)この場限りの人たちに気を遣ってどうするよ(爆笑
 もっとダークに、無力感に、したかった悔いがある。でも今はこの程度が私の限界か、くそ。


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